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iGirl

主な登場人物:ルイ(5歳,男)・サキ(2歳,女)・ユリ(0歳,女)・夫(32歳,男)

だれのためにもならない日記を書こう。主観的なことを書いていこう、どうでもいいことを垂れ流そう、と思った夏の終わり

diary
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いつまでだっただろう。ブログを書くのが楽しくて楽しくて仕方なかったのは。


いつからだろう、ブログが「趣味」だと断言できなくなったのは。





Twitterのせい、Facebookのせい。あそこでいろいろ書いてるから、もう書くことないよ。




ずっとそう思ってきたけど、なんか違うなーとも感じてた。




かなり前に、私は半分ポエムみたいな記事を書いた。時々ポエムみたいな記事を書いていた。今回だって半分そんな感じになって、あとから読むと恥ずかしいのかなと思う。まぁ、それはいいとして。


前に書いた記事に、真っ暗な洞くつでずっと生活しなきゃいけなくなったら私は何をするだろう、というような問いかけがあったように思う。(検索するのも恥ずかしいのでしないし、しないでください)


その答えは「文章を書く」ということだった。そのときは、文章をかくことによって自己を形成していたといってもいいほど、文章をかくのが好きだった。吐き出すのが好きだった。そうやって、いろいろな感情をコントロールしていたのではないかと思う。


でもいつからか、読者を意識するようになってしまった。このブログが少しだけ多くの人に読んでもらえるようになって、Twitterとか早い段階から使っているような人たちがいる集まりにいくと「iGirlだ!asami81だ!写真と違う!」というようなことを、ありがたいことに(?)言われるようになった。


大阪の片隅で、たぶん今でもTwitterとかFacebookとか「新聞では読んだことあるんだけどね〜」と言っているようなおじさんたちに囲まれて仕事ではエクセルばかりさわり、インターネットでよく見る人達は画面の中の存在だった私。ブログも、遠い遠い人たちにむけて書いているようなものだった。それがたぶん4年前くらいか。


それが流れ流れて東京で働くようになり、いわゆるウェブ業界の有名人と知り合うようになり、仕事でもウェブを学んでいき、アクセスアップのコツやSEOを学んでゆく。ブログは遠い遠い人たちが読むものでなくなった。会社に迷惑もかけちゃいけない、頭がおかしい人だと思われてはいけない、炎上してはいけない、書くならはてブつかないといけない、人のためになる記事を書かなきゃいけない。


いつからか、そんなことを考えていたように思う。インターネットなんて、こんなに巨大で、こんなに広いのに、とってもとっても狭く感じるようになった。


何も気にせず、恥も知らず、怪我も恐れず大暴れしていた遊び場が、いつしか監視がつき「遊び方のルール」を知って、怪我を恐れるようになってしまった。


それは仕方ないのかもしれない。この5〜6年ですらインターネットは変わった。劇的に変わった。私が何も気にせず遊べる場ではなくなったのは事実だ。だけど、自分のブログぐらいは「主観的に、誰のためでもなく、ただただ自分のために」ということは許されてもいいのではないかと思う。


そう思えるきっかけになったのは、1ヶ月ほど前に出会った人のおかげである。今回の文章がおちゃらけていないのも、その人のブログの文章に影響されているからかもしれない。その人は賢い人だからこういう文章が似合うけれど、私には到底似合わないなと自覚している。だけど小説や漫画を読んだあとはだいたいその作家や主人公の口調に似てしまうことは誰にでもあることなので、まぁいいかと書いてみている。


さて、なんでその人のおかげで今回のことが改めて感じられたかというと、その人のブログを最近読んでみたのだけど、私が初めてその人に出会ったときの会合の話が書かれていた。それを読んで、私も、私にその人を紹介してくれた友人も「あ、意外と楽しんでくれてたんだな」と思った。あまり楽しさや嬉しさが表には出ないタイプの人らしく、その会合の感想を文章としてブログに残してくれなければ、私達にそれは伝わることはなかったと思う。



「ああ、これだよ。これなんだよ!」



と、思った。日記でいいんだ。日記がいいんだ。日記には「多数の人のためにはならないけど、それを書く人の気持ちが残る」。その人のことを知りたいと思った人が読んで、「ああ、そうなんだ、そうだったんだ」というのは「知らない多数の人のためになるノウハウ」よりもずっとずっとステキで書く意味があるんじゃないかと思う。




そうだ、思い出した。私が昔、ブログが楽しくて楽しくて仕方なかった時はいつも「不特定多数の読者」ではなく「特定の誰か」が対象だった。その対象は恋人だったり、友達だったり。1番多かったのは自分かもしれない。そのときの自分、未来の自分、過去の自分。知っている人だけでなく、知らない誰かだったりもした。


とにかく、書いている先に誰かがいた。でも、アクセスが増えれば増えるほど、書いている先が誰なのか分からなくなっていったことにようやく気づいた。客観的に書かなければ、と無意識に思うようになっていたことにも気づいた。


自分が客観的だと思うことなんてのも、もはやそれは主観的ということだということも、その人のブログを読んでなるほどなと思った。(リンク先は、なんか迷惑になってはいけないので載せないでおく)



客観的と思ってる主観でもいいし、主観だと分かりながらの主観でもいい。とにかく自由でいい。誰かのためにならなくてもいい。




遊び場は、自分で鍵をかけただけでまだ少しスペースがあるのではないかと思えた夏の終わりでしたとさ。




※ 更新頻度が高くなるという決意表明ではありません(←これは相変わらず弱気)