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完全に思いつきで書いています。

子どものときは見えなかった世界

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小学生の時に仲がよかった同級生に20年以上ぶりに会ってきた。

 

大人になってから1回だけ会ったけど、それも10年以上前で、超大勢で会ってちょっと話しただけだから思い出せないくらいの薄い記憶。実質20年以上の年月がぽっかり空いた私たちの再会。

 

LINEでやりとりしてたせいか、子どものときに仲がよかったというのはそういうものなのか、全く久しぶりで気まずいということがなくて驚いた。話すことがありすぎる。話題がつきない。だって20年分だもんな。お互い子どもが3人。むこうは一番上がもう中3だけど(大きい!)。

 

その子は小学生のとき仲が良くて、でも中学になったらクラスも分かれて別々のグループになった。わたしはバスケ部に入って土日も練習があったし、小学生のとき仲が良かった子と全然遊ばなくなった。

 

高校になってもバスケ部に入り、中学より全然練習がきつくてでも割と頑張っていたのでこれまた土日もほぼ練習、平日も学校が遠かったので全く余裕なく、今度は中学の友達とも遊ぶことがなくなった。

 

そして大学生になったらバイトが忙しくなり、卒業後はアメリカに行った。その間にケータイを幾度となく無くしたり落としたり。今みたいにパソコンやクラウドにバックアップがあるわけじゃなく、そしてネットでつながってるわけじゃなく、ケータイをなくすたびに友達のアドレスがなくなっていった。

 

幼少期を過ごした実家には現在兄夫婦が住んでいる。随分昔、わたしがアメリカ滞在中にある友達が実家に電話したら「とにかく今はここに住んでない」と言われた、とか、他の友達が家まで行ってくれたけど連絡先(ケータイ)は分からず、ついに「あさみ行方不明事件」として地元ではちょっと話があがったと。それはいろんな子から聞いていたので、なんかもう恥ずかしいやら申し訳ないやらでいっぱいな気持ち。

 

義姉から後日聞いたのは「友達だったら連絡先分かるだろうし、家に電話くれたり訪問してくれても、どういう仲の友達か分からないからねぇ。勝手にあさみちゃんの電話番号教えるのはダメだと思って教えなかった」とのこと。これも正しい。

 

いまは何て便利な時代なんだろう。FacebookやTwitterやLINEでほぼ全て解決できる。

 

ただ私にとって「古い友達が家にまで来て探してくれてた」というのは嬉しい出来事で、今学生として過ごしている世代だとなかなか起こらないことかもしれない。それはちょっと、もったいない。

 

さて、今日友達に再会して、子どものときは全く不思議に思わなかったけどよくよく考えたらなんでそうだったのかな?と思い出した出来事について聞いてみた。とてもプライベートな質問でごめんね、という前置きで。

 

その子は、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に住んでいた。わたしもそのおうちへ何度も遊びに行った。お母さんの話は出てこなかった記憶。うちには父親がいなかったので、親が不在ということに違和感をもたなかったのかもしれない。

 

でも、大人になってそれが、それほどメジャーな形ではないことを知っていく。

 

親が他界

親が病気

親の仕事が忙しい

経済的な理由

 

もっともっといろんなケースがあるだろうけど、そういうことが起きてたのかなぁ、と。たまーにふと、考えることがあった。

 

今日は話の流れでこの話題が出たので聞けたけど、普通はあまり聞かないほうがいい話題ではある。

 

ただもう随分前の話だし、その子的には吹っ切れているらしく普通にサラリと教えてくれた。実際どうだったかの詳細は省くけど、自分が想像できる範囲なんてのは狭いもんだなーと思った。

 

いろんな人が、いろんなものを背負って生きてる。いろんな家族の形があっていいんだなと。子どものときは見えなかった世界。

 

「おじいちゃんとおばあちゃんにすごく愛されてるなーっていつも思ってて、それが羨ましかったよ」

 

あのとき言えなかったというか、言葉で表すという発想すら持たなかった感情を、今日は伝えることができた。

 

同窓会で他の友達に会えるのも楽しみで仕方ない。

 

兄の影響で尾崎豊とか聴きまくってたわたし。「この支配からの 卒業」とかノートに書いてたわたし。生粋の厨二病だった中2のわたし。

 

そんな痛い頃を知られてる人に会うのが楽しみとか、わたしも随分大人になったなぁ。

 

 

※ 尾崎豊は今も大好きです。