泣きセラピー
ルイは(家以外では)(両親のどちらもいなければ)どこへ行っても良い子だね〜と言われる。
今日も保育園の先生から「初めてのお昼寝も嫌がらずすぐに寝転んで目を瞑ってました。牛乳も頑張って最後まで飲みました!」と言われた。
家では絶対にお昼寝はしない、寝ころぼうともしない、牛乳なんて一口で終わり。
つまり、がんばっている。小さな身体で集団生活をがんばっている。
そう考えただけで泣きそうに。。。
心配するほど何かを我慢してる感じではないけど、がんばっているのは確か。以前なにかの本で読んだ「泣きセラピー(正確な名前は忘れた)」を寝る前に実行。
「ママと離れてさみしかった?」
「ほんとはママとずっと一緒にいたかったよね」
「いっぱい我慢したね。がんばったね」
など、本人が我慢してそうなこと、頑張ったことを代弁し「泣いていいよ」という行為が心のケアに良いらしい。
ルイは上記の質問に静かにうなづき、うえーん!うえーん!と、、、嘘泣きをしてた、、、笑
嘘泣きでも効果あるのかな、、、
少しでも「オレのがんばりを分かってくれてる!」となったら嬉しい。「なに言ってんだこのBBA!」ってなってるかもしれないけど。
最初の写真は「かぜと!たたかってきた!」だそうな。萌えるわー。
幸せなお花見@京都
桜がきれいに見えるお店でフレンチのコース!写真以外にもたくさん出てきた。
お店がほぼ貸切状態だったので、小さい子どもが一緒でもそれほど気を遣わず済んでよかったー。もちろんゆっくりは食べられなかったけど。
なにより桜を見ながらフレンチだなんて、この私が経験したことはないわけで。しかも名所、京都〜。嬉しかったなぁ。
そのあとは鴨川でお花見。スタッフの方が朝から場所を取っていてくれて。ありがたすぎる。
颯爽と現れた宝ジェンヌは、まさかのイタ飯屋さんの営業だった。宝塚劇場にもこの格好で観に通ってるらしい。ちなみに男性。
雨にもまったく合わず、お天気にも恵まれてよかった。子どもたちもいろんな人に遊んでもらえて楽しそうにしてた。幸せなお花見。
ウエストポーチ
夫が以下の要望を言い出し。
- iPhone6プラスと財布がはいる小さなカバンが欲しい
- リュックを背負ってるときも身体のどのかにつけられるものがほしい
- ウエストにつけるバッグなら縦型とかお尻あたりに触れるものは身体が歪みそうになるから嫌
要望をすべて叶えるのは「お腹のど真ん中にウエストポーチをつける」ということになりました。
THE OTAKU ファッションですね。
なるほどだからあの方々はウエストポーチなんだ!!!!と気付いた今日この頃。合理的!
ただまぁいわゆるウエストポーチはちょっと家族会議で否決されたので他を探してみたところ、
これなら要望かなえられそう。
OL時代、スーツのおじさま方がこういうのつけてたなぁーって思って、これを見つけたとき画面見せる前に夫に
「ほら、サラリーマンがスーツに隠す感じでつけてるやつ、ああいうのあったよ」
って言ったら 「ああ、肩に隠してつけてるやつ?」 って。
おいそれ拳銃のことちゃうか。あぶない刑事的な。
ホワイトデー 2015
結婚してこんなに豪華なホワイトデーのプレゼントは初めてなので記念メモ。
Apple TV はどさくさにまぎれた感たっぷり。(夫が前から欲しがっていたもの)
エアクリエ、なかなか良い。フットが特にお気に入り。
左右交代でやらないといけないので両足同時に気持ちいい!とはできないけど、その分ほかのフットマッサージ器具より安かったらしい@ヨドバシ梅田
日立 エアマッサージャー ブラウンHITACHI エアクリエ フット HK-F200-T
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3.11
Google 未来へのキオク - あの日から 4 年
なんとなく思い出しメモをしておこう。
4年前の今日は東京の代々木にいた。単身赴任中で、妊娠7ヶ月の頃。
金曜日だった。
その日の夜に大阪へ新幹線で帰る予定が、もちろん地震で新幹線はストップ。というか、ストップするのかしないのか分からないくらいの混乱だったように思う。
夫が大阪から仕事後になんとか夜行バスで向かってくれたのか、翌朝向かってくれたのかは忘れたけど、とにかくあの日の夜は1人、西新宿に借りていた狭い部屋で余震に怯えていたことはハッキリと思い出す。
「東京の人は地震に慣れてるんだなー」というのが東京で働き始めて最初に思ったこと。小さな地震では動揺しない。阪神大震災をモロに経験したからか、わたしは小さな揺れでも結構びびっていた。
その日揺れがきたのは会議中で、揺れ始めてから少しの間は「あ、またか」みたいな空気だった。わたしもその頃には少し慣れて、そんなふうに思えた記憶。
たしか1回揺れは落ち着いて、数分後にまたやってきたように思う。会議中ということもあり最初は皆なにも言わなかったけど、ガタガタガタという音がするころには明らかに普段と違うということに気づいた。揺れが長すぎる。
男性役員の1人が「みんな机の下に隠れて!」と大きな声で言った。その声によってみんなが「普段と違う!」というモードにすぐなれたと思う。ああいう場面で冷静に対応できる人は今考えてもすごい。
私は何もできずにいた。机の下に正座したけど(お腹がすでに大きかったので他の座り方ができなかった)、座っていても倒れそうなくらい大きな揺れで本当にこわかった。人生で1番強く「神様!お願いします!」と心で叫んだ。この揺れを止めてください。ビルが崩れる前に揺れを止めてください。
祈っても意味がない、とはその時も思ったけど、パニックのときは祈るくらいしかできないことを痛感した。
揺れの最中なのに「あさみさん大丈夫ですか?!」と、妊娠中の私を気遣ってくれたアルバイトさんのことは忘れない。わたしより全然若いのに… やっぱり人間は年齢じゃない。
そのあと、揺れが落ち着いてオフィスに戻ったはいいけど、津波と原発のことを知りもっと恐ろしくなった。ものすごすぎてリアリティーがないというのは9.11のあの映像をみたときと同じ感覚だった。
自分が経験した怖さなんて比にならない怖さを感じた人が山ほどいる。
「大好きだよ」瓦礫に母残し4年 19歳が誓った言葉(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース
その時、足下から私の名前を呼ぶ声が聞こえ、かき分けて見てみると釘や木が刺さり足は折れ変わり果てた母の姿がありました。右足が挟まって抜けず、瓦礫をよけようと頑張りましたが私一人にはどうにもならないほどの重さ、大きさでした。母のことを助けたいけれど、ここに居たら私も流されて死んでしまう。「行かないで」という母に私は「ありがとう、大好きだよ」と伝え、近くにあった小学校へと泳いで渡り、一夜を明かしました。
母親が子どもに「あなただけでも助かって!」と言えるのはドラマの中だけで、現実はそうはいかない。読んだだけでも辛すぎる。
何年経っても忘れないでいよう。