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完全に思いつきで書いています。

人間てどんないきもの?【映画】シティ・オブ・メン

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(C)2007 O2 Cinema Ltda. All rights reserved.

まずは献本ならぬ献試写会御礼。 一足先に試写で観させていただきました。

・・・とかいうとまるでアルヒャブロガーだなおめー!ひゃはははh・・・

というノリで書こうと思いましたがそうもいかないみたいです。

CITY OF MEN / シティ・オブ・メン


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結論から言うと、id:dropdb たんの見てください。→http://d.hatena.ne.jp/dropdb/20080730/1217415589。こんな上手に書いてくれる人がいるなら私出る幕なっしんぐ!

(>人<)

ただそうも言ってられない。せっかくいただいたのでがんばってみる。「シティ・オブ・ゴッド」も観ていなけりゃ普段映画という映画をあまり観ない私が評論できるのか謎だけど、観終わって感じたことそのままに書いてみます。

まず、何よりももう胸が痛くて痛くてたまらない。「秩序」を持つことの大切さ。自分の「常識」なんて通用しない場所がある。そう痛感する一方で、人間の本質は結局これなのかもしれない、と。きれいごとを言う自分は自分を偽って生きているのかもしれない、という気持ちすら芽生える。なんていうか、触れられたくない部分をグッリグリえぐられる、そんな感じがした。

「あいつはどこにいる?俺はあいつの従兄だ!」「ふん。みんながみんな、誰かの従兄だからな」

この台詞の意味は単純です。そのままです。
あの丘は私たちから見ると非常に狭い世界。でもそこにいる人たちはその丘が世界の全てとすら思っている。性欲を抑えないのが本能であるのなら、彼らは本能のままに生きる。邪魔なものは消し去る。欲・裏切り・金・死・・・。

親がいない子供がたくさんいる。顔も見たことない父親。どうしてその父親に会いたいのか、親友を遠ざけてまで近くにいたいのか・・・。そのときの顔は恋人といるときの顔とはまるで違う。父親といるときは子供の顔になる。頼るものが他にない人間は、自分を捨てたかもしれない人間にすら愛情を持つ。

今この日本で未熟な人間が子供を授かってしまい、不幸な結果を生み出すことが多々ある。私は当たり前のようにそれは「いけないこと」だと判断し、「自分のことだけを考える人間なんて最低だ」と非難する。「そんな人間にはなりたくない」

この考えは自らが形成したのか、社会が形成したのか。私がスラム街ファヴェーラに生まれていたら、間違いなく今の自分は存在しないだろう。「自分がつくった自分」なんて微々たるもので「社会がつくった自分」が自分を支配しているような気がして居心地が悪い。

本能とは何だろう?人間と動物の違いは「理性」があるかどうかだと思っていた。人間はほんとうに「理性」があるんだろうか。

本来人間とは自分を一番大切にし、他のものはいくら頭で「大切だ」と思っていてもそれは本能ではないのか。それが血をわけた子供であっても。

子供が自分の体内に宿らない男は本能として自然の「愛情」は芽生えない。幸か不幸か、男と女の間には「子に対する愛」に差が出てしまう描写が多々あった。悲しいかな、これが人間。

でも

それでも

人間の温かさ、成長、努力、葛藤・・・これが私にも安心感をくれた。主人公アセロラとラランジーニャ。親友といるときの顔、子供といるときの顔、父親を想うときの顔。彼らは違う顔を持つ。人間は違う顔を持つ。人を裏切ってしまうときもあれば、命をかけてでも人を助けたいとおもうときもある。


1つの顔がその人の全てではない
汚い部分が人間の全てではない
きれいな部分が人間の全てではない。



この当たり前のようなことを、改めて教えてくれた映画だったように思います。観る人によって考えることが180度違うかもしれない映画。よろしければ「人間とは」を考えるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。海がきれいだったー。


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8月9日(土)公開 渋谷シネ・アミューズ他にて全国ロードショー

(↓ばあああんって音します)
映画「CITY OF MEN/CIDADE DOS HOMENS シティ・オブ・メン」オフィシャルサイト