iGirl

完全に思いつきで書いています。

ぐっち愚痴にしてやんよ

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サンマルクカフェにいます。さっきまで隣にいた女子大生風の、派手でもなくケバくもなく、かと言って地味すぎるわけでもない、いわゆる「普通」と呼ばれるにふさわしい女の子二人が席を立って帰って行った。テーブルには飲み終わったカップをそのままで。
じつわ今わたしが座っている席もカップが置いたままで「あいてるのかな?トイレ行ってるだけかな?」としばらく見ていたけど誰もいないようなので座った。
こうゆうのに違和感を感じるのは私が昭和生まれだからなのか。ここはセルフサービスにより安価が成立しているカフェなわけだ。たまにマクドでもそうゆう人たちがいるけど、あれは分かってやってるのかなって思ってた。悪いぶってかっこいいと。大人になれば分かっていくんだろうなと。
でも彼女たちは本当に普通の、どちらかというと良い子そうな二人組。好きな人がどうのこうの、告白したけどどうのこうの、そうゆう他愛ないことを話してた。聞いてたのかよってね。
あぁ、悲しいなぁー。

・・・と思ったけど、自分の行動に目をむけてみると悲しんでいられないんじゃないだろうか。わたしが今まさにウィルコムw-ZERO3でブログを書いている姿は、ある人から見たら「これだから現代人は・・・悲しいなぁ」となるかもしれない。「いい大人が外でポチポチすんなよ」と思う人だって少なくないはずだ。そうゆう年代の人はこの時間にこの場所にいる確率は低いけれど、年代によっておかしいおかしくないは違ってくる。
ここで決めてみる。もはや急激な時代の変化で「やってよいこととダメなこと」の細かい線引きは難しい。その線引きは各自に任されているように思う。
私が思う定義はやっぱり
「人に迷惑をかけない」
「人を不快にさせない」ではなく「人に迷惑をかけない」というのが重要な線引きだ。たとえば電車の中で携帯をさわる大人はもはや8割以上ではないだろうか。もちろん携帯電話禁止車両では一切さわってはいけない。禁止されていない車両でも「いい大人がかっこわるい・・・」と不快になる2割がいる。線引きとはその2割を気にするのではなく残りの8割に対して最低限迷惑をかけないということが重要だ。もちろん自分がその2割と同じ価値観なら携帯など触らず本を読み、「携帯ばっかしてるやつアホ、おれ賢い」と思っていればいい。しかし今は移動時間すらもったいないと思う人が多い上に携帯であれやこれやできる時代になっている。そんな人が
唯一気にしなければならないのは自分と同じ8割への配慮だ。いろいろあるが一番は「(声もふくめ)音を出さない」ということ。車内で通話なんて問題外。意外に多いのは盆宰澪というボタン音をオンのままにしている人。携帯を触ってもいいが音を出すと多くの人に迷惑がかかる。これは時代のせいでも携帯の成長のせいでもなく、その人のせいになるのだ。
こんなふうに自分の中で線引きを行っていけば、やはり今だに残っているカップの残骸は人に迷惑をかける。だってその席には他の人が座れない、もしくは座るときにその人がゴミ箱にもっていかなければいけないから。

こうゆうのちゃんとする女の子だったら、好きな人もふりむいてくれるんじゃないかなぁ。

ちなみにその女の子たちとは逆に座ってたサラリーマンは靴を縫いでソファーにあぐらかいてた。これは私が2割の価値観を持ってるという可能性があるので嫌な気分になるのは止めた。もちろん臭かったら無条件で迷惑だけど。