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iGirl

主な登場人物:ルイ(5歳,男)・サキ(3歳,女)・ユリ(1歳,女)・夫(33歳,男)

せっかくの幸せに背を向けないということ

diary
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3.11 14:46
2年前のその時は代々木のオフィスにいて、みんなで会議中だった。その日の夜に大阪へ週末帰省する予定で結局かえれなかったから、たぶん金曜日だったんじゃないかと記憶している。

わたしは当時妊娠6ヶ月。揺れてるとき何もできなくて。会社の男性陣みんながすごく適切な対応をしてくれて、頼れる男前だった。「窓から離れて!机の下にもぐって!」ってみんなに言いながら自分たちはドアを開けに行ってくれて。(揺れでドアが開かなくなって閉じ込められる可能性があるから、揺れを感じたらドアを開けようと常々言い合っていた。)

揺れてる最中にバイトの子たちが「あさみさん大丈夫ですか?!」って声かけてくれて、わたしのほうが大人なのにすごく支えられたのを思い出します。

阪神大震災のとき、大きい被害があった位置に住んでいたのですが中学生だったせいか今より大きく受け止めておらず、逆に非現実的な日々にちょっと興奮してたくらいだった。

だからトラウマはないと思ってたんだけど、3/11あの日の揺れの動揺加減で自分にも多少のトラウマが存在していることに気づく。崩れたビルや高速道路をみてたから「このビルも崩れるんじゃないか」って思って恐怖だった。ひたすら手をあわせ、「早く止まってください」と祈り続けた。

揺れが止まってから、大きい公園にみんなで避難した。新宿の高層ビルが無傷で何ごともなかったような顔をしていて「日本の建築技術すげえ」って誰かと言ってた。それぐらいの余裕はあったんだなぁ。

揺れが止まってしばらくたっても電話、メール、ネットが私のiPhoneからは使えなくて大阪にいる夫と全く連絡をとれなかった。心配しているかなぁと思ったけど、あとあと聞いたらnanapi社長のけんすうくんが「社員全員無事です」みたいな内容をツイートしてくれていて、それを見た夫は安心していたようです。こういうときに、リーダー的な人がどう対応するかで社員とその家族の安心感は違うね。そしてWebの力すごい。結局夫と1番最初に連絡がとれたのもTwitterだった。

しばらくたってオフィスに戻ったものの揺れが止まったからって喜べることじゃないというのがすぐに分かった。東北が大変だ。今まで私たち世代が感じることがなかったんじゃないかっていうぐらい「日本やばい」って思って。






それがまだ、全然終わってないから、「あのときは大変だったなー」なんて言っちゃいけないんだよね。でも実際、関西に戻ってきて生活していると忘れそうになる。今なんて原発よりも花粉の問題のほうが自分の中で大きくなっちゃいそうなぐらいだよ。そういうことに罪悪感を覚えながらも、それは仕方がないことだと言い聞かせる。

こういう大きな災害が起きると、大きな被害に遭わなかった人は罪悪感をもって、まるで「自分たちが幸せになってはいけない」とどこかで感じてしまうのではないだろうか。私は2011年に息子を産んだ。震災から4ヶ月後。日本に多大な不幸が生まれた年に、わたしから幸せが生まれた。

あたりまえのように考えてしまうのは「あの津波にどれだけの赤ちゃんが流されてしまったのだろう」ということ。どれだけの母親父親が幸せから突然切り離されたのだろう。どれだけの子供たちが、両親を失ったのだろう。

そんなことを思うと、申し訳ない気持ちに押しつぶされそうになる。まるで自分が幸せになることを拒否すべきなんじゃないかとか。息子は歴史に残る年に生まれた。大きくなって大人から言われるかもしれない「ああ、震災の年に生まれたんだね」と。それを例えば何度も何度も言われると、息子はどう思うだろう。




それを考えると、「あ、なんか違う」って思った。こんな赤ちゃんが、ボールと長い棒にしか興味がない赤ちゃんが、あの大きな震災を背負う必要はない。震災とは関係なく、幸せになっていいはずだ。この子がもしも、あの年に生まれたというだけで少しでも罪悪感を持って生きていってしまったら、わたしは悲しくて悲しくて仕方がない。



せっかくの幸せに背を向けてはいけないのだ。



息子も、わたしも。そして貴方も。

結局これもエゴでしかないのだろうけど、幸せになろう。幸せになるのは悪いことじゃない。




がんばろう東北
がんばろう日本
幸せになろう自分