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完全に思いつきで書いています。

[考え事] 遺書について考えてみた

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不謹慎!ふきんしん!デリケートな方はお控えください。よろしくお願いします。

ここ最近、考えていることがあるのですよ。それはね、明日死ぬとしたら何て遺書を書こうかということ。それも自殺とかでなくて。何ていうか「もしかしたら死ぬかもしれないから!大事な人にメッセージ残しとくよ!」ってカンジのもの。

なんでそんなことを考え出したかというと、最近仲良くしていただいているあるお姉さま、Yさんとこんな感じのメールのやりとりをしたからです。(Yさん、敬称は略させてもらいますね。)

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Y 「あさみさん!今度、難波にできた絶叫マシーン乗りにいかへん?」
私「わーわー!たくさんの遊園地で絶叫マスィーン事故が起きているこの時期、素適なお誘いですね!!全力でお断りします^^ 命かける系ムリ><こわいこわい><」
Y 「命かける系(笑)私は好きやなー。今はヘリコプターに乗りたいわ。あと、バンジーとか。なんせか命かけたいねん(笑) 」
私「私は電車の1両目に乗ることすら絶叫ですw 小心者ちゃんって呼んでください(*^ω^*)」
Y 「いやいや、私も小心者よ。スカイダイビングしたときも、遺書書いたくらいやしな(笑)
”日記は読まずに破棄してください”とかやけど。 」
私「なんという素敵遺書wwwwwwwwってゆうか秘密日記があるんですかwwww」
Y 「あるある(笑) そうそう、前から思っててんけど、コレなに?→w」
以下略

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遺書といえば最後にこれだけは言わせて!ってカンジだと思うんよね。そう考えたら「言えなかったあの人にこれを謝ろう」ってのしか思いつかなくて。何という人生だわたしは。毎日「今日が最後!」って考えたら、どんな人にも優しくできたりするのかな。ケンカしたりイライラしたりしないのかもね。言うのが難しい「ゴメンナサイ」も言えるようになるのかな。もしも私がこの世からいなくなったとき、言えなかったゴメンナサイが伝わるように、ブログにちょこちょこ書いていこうかなって思う。


親友のMへ。
ごぶさたしています。元気ですか?Mが東京に行ってからもう何年が経つのかな。高校のときは毎日大笑いして楽しかったね。昼休みにドッヂボールとかバレーボールしてた日々が懐かしい。「私たちはキューバ人!」って声に出せば本当にバレーがうまくなった気がしたね。不思議。SPEED結成のときは誰が上原多香子をやるのかちょっとケンカっぽくなったよね。結局わたしは Hiro をやることになったけど、あれでよかったかなって思ってる。で、結局多香子は誰が担当したっけ?あれだけもめたのに忘れちゃった。とにかくヒトエをW子がやったのは覚えてるよ。「W子ってヒトエに似てるから適任www」ってみんなで笑ったら本気で怒ってたね。あ、そうそう、最近W子と連絡とっててさ、つい最近あの子インドに1ヶ月くらいヨガの勉強に行ってたらしいよ。ヨガの先生になりたいんだって。・・・あれ?やっぱりあいつヒトエじゃね?(笑)
そうそう。Mは常にラムネ食べてたよね。頭痛持ちの私は常にEVEを持ってた。「EVEとラムネ似てるなー」って話をした翌日、Mのラムネボトルの中にEVEを入れてごめんね。ラムネと思ってEVEを食べた時のMの顔は今だに夢にでます(笑)MのおかげでEVEは噛むと泡が出てくるって分かった。ありがとう。

思い出話に花が咲いちゃったけど、今日は大事なことをMに伝えたくて筆をとりました(タイピングしてます)。神様のイタズラで私は明日この世からいなくなっちゃうんだ。Mのママのところへ行くよ。あの世でママに会ったら、きっとMの話題で盛り上がると思う。すっきりした気持ちでいきたい。だから今まで言えなかったゴメンナサイを伝えさせてね。(ラムネのことじゃなくて。)
Mが一番辛い時、ママが病気であと半年しか生きられないかもしれないって時、そばにいてあげられなくてごめんなさい。「あさみちゃんがアメリカで頑張ってるから、おばちゃんも頑張れるよ」って泣きながら電話で話したのが、まさか本当に最後になるなんて思わなかった。途中帰国ができないプログラムに参加していた私はあれほどたくさん考えた時期はなかった。日本へ帰るべきか、このままアメリカに1年いるべきか。でもその間におばちゃんはいなくなっちゃうかもしれない。苦しかった。
結局わたしはそのままアメリカにいたんだけど、今でもそれが正しかったのかどうか分からない。「私が頑張れば、おばちゃんも頑張れるんだ」って自分に言い聞かせてた。でも親友が一番辛いときにそばにいられなかったのは事実。ごめんなさい。
「ママはママらしく最期を迎えました。いろいろ心配してくれてありがとう」ってメールを読んだときは、やっぱり帰るべきだったって後悔したよ。泣きながら「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」っていっぱい言いました。でもMに伝えることができなかったね。なんでかな。ごめん。一言なのにね。
でももっと謝らなくちゃいけないのは、「アメリカにいる時期でよかったのかも」って心のどこかで思ってたこと。大好きなMが大好きなママを失う辛さをそばで見ずに済んでよかったってほんの少しだけど思ってるんだよね。最低だ。自分が経験したことがない大きすぎる悲しみ。それをMが抱えてると思うと、何て声をかけていいかも、どんな顔してればいいかも分からない。日本にいたら逃げ出してしまう自分がいたかもしれない。だから遠い国にいて「仕方ないよね」って思える状況でよかったのかなって・・・ごめん。弱くてごめんね。
なんでわざわざこんなことを言うかって、それはきっとこのことをMは気づいてるから。優しさでお互い口にしてないだけだよね。それはそれでいいんだけど、でも、「何も言わずにうまくいく関係もあるけど、私たちは違うやん!徹底的にいろんなことを言い合って信頼関係が生まれてると思うで。今までもそうやってきたんやし!」って、Mはいつの日か言ってたね。大人になるにつれて、閉ざすのが習慣になった私を、Mは私より早く気づいてたのかもしれない。さすが親友。
もしも神様の気が変わって、また明日元気に過ごすことができたら、Mに会いにいくよ。Mが好きなラムネを持って(笑)

亜紗美より